福岡地方裁判所 昭和42年(行ウ)14号 判決 1969年7月22日
原告 近藤一男
被告 福岡入国管理事務所主任審査官
訴訟代理人 島村芳見 外四名
主文
原告の主位的請求を棄却する。
原告の予備的請求を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、原告
1 主位的請求
被告が原告に対して昭和四一年一二月二四日付退去強制令書を発付してなした退去強制処分が無効であることを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 予備的請求
被告が原告に対して昭和四一年一二月二四日付退去強制令書を発付してなした退去強制処分を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、被告
主文同旨
第二、原告の主張
一、請求の原因
1 原告は、明治四五年二月二八日福岡県朝倉郡金川村大字下屋(現甘木市金川町大字下屋)において、日本人近藤武夫の次男として出生した日本人であるが、大正三年父母および姉とともに満州国新京市南新京に移住した。
2 大正四年父母は事業に失敗し、借財と生活苦のため、当時三才の原告と六才の姉を残して行方不明になつたので、家主であつた宮城県仙台市出身の中村永一郎夫妻に救われ、養子として養育を受けた。
3 原告は一一才の頃中村家を出、中国大陸を転々としていたが、昭和二一年八月一八日福岡市博多港に引き揚げ帰国した。
4 被告は、原告を朝鮮人と認定して、昭和四一年一二月二四日出入国管理令第二四条により本邦外に退去を強制する旨の退去強制令書を発付し、同日原告は右退去強制処分があつたことを知つた。
5 しかし、日本人である原告を外国人としてなした退去強制令書発付処分は当然無効であり、仮りに本件退去強制令書発付処分が無効でないとしても、右のとおりの瑕疵があるから取り消されるべきである。
よつて、被告が原告に対してなした本件退去強制令書発付処分につき、主位的に無効確認を求め、予備的にその取消を求める。
二、被告の本案前の主張に対する訴訟行為の追完の主張
原告が本訴を被告主張の出訴期間内に提起できなかつたのは大村入国者収容所職員から訴状の提出先を福岡地方検察庁と誤つて教示されたため、同庁へ送達してしまつたことによるのであり、右不変期間の徒過は原告の責に帰すべきものでなく、原告はその後福岡地方裁判所へ右訴状の到達の有無を照会して初めてこれに気づきあらためて本件訴状を同裁判所へ提出したものであるから、これによつて追完さるべきである。
三、原告が外国人であるとの認定の相当性についての反論
(一) 被告が出入国管理令に基いて原告に本邦から退去を強制することは憲法第一三条に違反する。
(二) 被告が原告を外国人と認定したのには何らの根拠もない。
すなわち、同令にいう「外国人」とは「日本の国籍を有しない者」をいうのであるが、原告は日本において日本人である父母の間に出生した以上当然日本の国籍を有し、それ以外のどの国の国籍も有しない。勿論本件においては原告の主張の信憑性が問題となるが、入国管理事務所の調査は当初より原告を朝鮮人であるとした先入観に基き、あくまでも朝鮮人にするためになされたものである。被告主張の(一)ないし(六)は被告の一方的な調査であつて、原告はこれを容認するわけにはいかない。被告主張の根拠はすべて偏見に捉われて、信頼できないものである。
(三) 被告主張(七)の(1) について
(イ) 被告主張の韓国人李末洙なる人物に原告が挨拶を交したことはない。同人の家は知つているけれども、原告が福岡市長浜に居住したのは僅か一五日間に過ぎず、その間全く交際はなかつたので、挨拶を交す必要もなかつたからである。
(ロ) 原告が刑事事件で福岡刑務所(福岡市藤崎)に未決勾留中、たまたま姜大植と同室になり、無職の毎日を過しているうち、互いに冗談を言い合つて気を紛らしていた。姜が出所後強制送還されるかも知れないと寂しそうにするので、原告が同人を元気づけるつもりで俺も君と同じだ、一しよの船に乗つて行くのだから、向うへ行つたら飯を食わせてくれよ」と冗談に紛らし、その場の沈んだ空気をほぐしたのである。原告が本心で言つたのでないことは、同所の係官がこの話を聞きとがめて、「冗談にもそんなことを言つてはいけない」とたしなめられたことからも明らかである。
(ハ) 真島武とは全く面識がないと言つて良い位交際はなかつた。勿論、被告主張のようなことを話したこともない。
(ニ) 宮崎地方裁判別における判決の際、原告は福岡における別事件で指名手配を受けていたので、その発覚を恐れて本籍等黙秘していたが、警察で尋ねられた時に満州から引き揚げてきたことだけを話すと、「お前は朝鮮人だろう」と言われ、原告がいくら日本人であると弁明しても聞き入れず、調書その他の書類の本籍を「朝鮮以下不詳」とされてしまつたのである。しかし、その後別事件が発覚したため原告が公判廷で本籍を「福岡県朝倉郡金川町大字下屋」と申し述べ裁判所も了解した。
(ホ) 原告は昭和三九年一〇月一二日当時入国管理庁に身柄を拘束されていたが、その時係官から在留特別許可申請をするよう勧められたので、その理由を尋ねたところ、右許可を得られれば釈放されるから原告が本籍等を調べるのに好都合だろう、と言われた。そこで、原告は一時の便法として右許可を受けた。外国人登録についても同様である。
(ヘ) 原告が永住許可申請をしたのは、長崎刑務所服役中出所後朝鮮へ強制送還のため大村収容所に収容されるのを避けるためであつた。
(四) 被告主張(七)の(2) について
(イ) 姜大植は福岡入国管理事務所入国警備官坂出卓雄とは非常に親しい間柄であるから、姜の供述は何ら真実性がない。原告が日本の風習、習慣を知らないというのはどの程度のものを言うのか判然としないが、幼少より日本を離れ、外地暮しをしてきた原告としてはある程度日本の風習、習慣に馴れていないとしても仕方のないことである。また原告の朝鮮語は満州にいた当時周囲に多数の朝鮮人がいたので自然知り得た最少の日常語に過ぎず、到底普通の会話ができる程のものではない。勿論、原告の覚えた朝鮮語が特定地方の方言かどうかは原告としては分らない。
(ロ) 原告が朝鮮人独特の食物を好んでいたと被告は主張するが、食物の嗜好で国籍を判断することは許されない。
(ハ) 原告が朝鮮人特有の人相であると被告は主張するけれども、朝鮮人特有の人相とはどのような基準で言うのか分らないが、外面的な人相骨格で国籍を断定することはできない。例えば、アラスカのエスキモーは蒙古人に酷似しており、その蒙古人の一部には一見日本人と判別できる風貌のものもいると聞く。また、原告の日本語が稚拙であると被告は主張するが、外地における純粋な日本人の父母から生れた二世、三世の使用する日本語が全く稚拙であることから考えても、これをもつて原告を朝鮮人と断定することはできない。
(五) 以上の点を綜合しても、原告が朝鮮人であると断定する根拠は何ひとつない。すべて、被告の偏見による一方的判断に過ぎない。
第三、被告の主張
一、本案前の主張
1 原告の本訴予備的請求は、被告が原告に対してなした出入国管理令に基づく退去強制処分の取消を求めるというのであるから、行政事件訴訟法第一四条第一項により処分があつたことを知つた日から三ケ月以内にその取消を求めなければならないところ、昭和四一年一二月二四日に本件処分があり、原告は同日そのことを知つたにもかかわらず、その日から三ケ月以上を経過した昭和四二年六月三〇日にいたり本訴を提起したものである。したがつて、本訴は不適法なので却下さるべきである。
2 原告の訴訟行為の追完の主張に対する反論
大村入国者収容所職員が原告主張のような教示をした事実はなく、また福岡地方検察庁へ原告が提出した書面は告訴状であり、その内容は福岡入国管理事務所長を被告訴人とし、日本人である原告を不法にも外国人退去強制令書にもとづいて大村入国者収容所に収容して、原告の人権をじゆうりんするから告訴するというものであつて、同検察庁ではこれを受理し、公務員職権濫用被疑事件として捜査に着手している。
右告訴は本件訴とその趣旨を異にする。仮りに、大村入国者収容所職員が原告主張のごとき教示をしたとしても、右教示は何ら誤りでなく、これをもつて出訴期間徒過につき原告の責に帰すべからざる事由がないとはいえない。
二、本案の答弁および主張
1 答弁
(一) 請求原因1、2の事実は否認する。
(二) 同3の事実中昭和二一年八月頃原告が本邦に入国したことは認め、その余は不知。
(三) 同4の事実は認める。
2 本件退去強制令書発付の経緯
(一) 原告は昭和二一年八月頃本邦に入国し、一時福岡市内で八百屋を営んでいたほかは、昭和二三年三月に詐欺罪による懲役一年の刑を宮崎刑務所で服役以来、現在までに詐欺窃盗等の犯罪を重ね、殆んど矯正施設での生活を続けていたのであるが、その間の昭和三七年七月三〇日窃盗罪による懲役二年六月の刑で鹿児島刑務所に収容された際、同刑務所から退去強制該当容疑者収容通報があつて、翌三一日鹿児島入国管理事務所において退去強制手続に着手し、同所入国警備官が違反調査をしていたところ同年一一月二六日原告が福岡刑務所に移監されたのに伴い、右事件も福岡入国管理事務所に移管され、同所において引き続き退去強制手続を行つた結果、昭和三九年一〇月一〇日付で在留特別許可(在留資格四-一-一六-三、在留期間一八〇日、期限昭和四〇年四月一〇日まで)の法務大臣裁決があり、同月一二日許可書が原告に交付された。
(二) その直後、原告はさらに窃盗の罪を犯し、懲役二年の刑に処せられて福岡刑務所に収容され、昭和四〇年一月二八日同刑務所から退去強制容疑者通報がなされ、また同年四月二三日不法残留事実(前記特別在留許可期限切れ)の現認により、福岡入国管理事務所入国警備官は原告に対し出入国管理令第二四条第四号ロ、リ該当容疑者として退去強制手続に着手した。そして、違反調査を行つた結果、同号ロ、リ該当の容疑事実ありとして、事件を同所入国審査官に引き継いだ。
同所入国審査官は、審査の結果昭和四一年一〇月三日同号ロ、リに該当する旨の認定をしたところ原告は同所特別審査官に口頭審理を請求し、同審査官の認定は誤りがない旨の判定に対して法務大臣に異議を申し出てたが、同年一二月二三日同大臣は原告の異議申出は理由がない旨の裁決をした。そこで、被告は翌二四日原告にその旨告知するとともに退去強制令書を発付し、これを原告に示して執行した。
3 原告が外国人であるとの認定の相当性について
(一) 出入国管理令上、「外国人」とは「日本の国籍を有しない者」(同令第二条第二号)をいう。そして、日本の国籍を有するか否かは国籍法の定めによるべきところ、原告は現行国籍法施行の日以前に出生しているので、旧国籍法による日本国籍取得の有無も問題にしなければならない。原告の場合、原告が日本に帰化したこと(旧法第五条第五号、新法第三条)、日本人の入夫となつたこと、(旧法第五条第二号)は原告の主張もなく、問題となる余地はないが、次の場合が問題となる。
(1) 原告出生当時、原告の父が日本人であつたことになる日本国籍の取得(旧法第一条新法、第二条第一号)。
(2) 原告の父が知れない場合または国籍を有しない場合において原告の母が日本人であることによる日本国籍の取得(旧法第三条、新法第二条第三号)。
(3) 日本人たる父または母によつて認知されたことによる日本国籍の取得(旧法第五条第三号、第六条)。
(4) 父母がともに知れないとき、または国籍を有しないとき、日本で生れたことによる日本国籍の取得(旧法第四条、新法第二条第四号)。
(5) 原告が日本人の養子となつたことによる日本国籍の取得(旧法第五条第四号)。
原告は(1) を主張し、予備的に(5) を主張するもののごとくである。そこで、以下右の諸点について原告の主張を中心に日本国籍取得の有無について検討する。
(二) 原告が右(1) により日本国籍を取得するためには、原告の父と称する近藤武夫が原告出生当時日本国籍を有すること、および原告と同人が法律上の父子関係、換言すれば「嫡出の子」であるか、または「出生と同時あるいは胎児中に父の認知を受けた非嫡出子」であることを要するが、原告はこのいずれの要件をも充しているとはいえない。
すなわち、まず、日本国籍を有するすべての国民を登録する国民登録制度としての機能を有する戸籍について、原告の主張するところについて調査するも、原告主張の甘木市に近藤武夫および原告の戸籍はない。かつ、原告主張の本籍地名も存在しない。結局戸籍法によつては右要件を証明し得ず、原告の供述の外には右要件を証明する資料は何もない。ところで、その原告の供述は、父母の氏名、兄弟姉妹の存否、氏名等その他関連事項について一貫せず不明確であつて、かつ朝鮮人の子であると第三者に述べている事実等から措信ずるに足りないのである。
(三) 従つて「原告の父が日本人であり、しかもその両者が法律上父子関係にあつた」か否かは全く不明であるから次に「父が知れざる場合」として前記(2) の母が日本人であることの該当の有無についてみても、これまた父が日本人か否かの不明なると同様、全く不明のことに属し、この場合にも該当するという」とはできない。
(四) すでに述べたとおり、父母の氏名も国籍も不明であり前記(3) に該当することを示す資料は全くない。
(五) さらに「父母がともに知れざる場合」として前記(4) の日本において出生したことに該当するか否かも、原告の供述以外に資料はなく、出生地についても福岡県甘木市内とか慶尚北道永川郡とか供述に一貫性なく措信するに足りず、結局これにも該当することができない。
(六) 最後に、前記(5) の場合についてみるに、原告主張の中村永一郎は仙台市に在籍した事実なく、原告の戸籍もないかつ、仙台市内に原告主張の本籍地は存在しない。従つて、戸籍簿等によつて、養子の有無が証明できないのみならず、中村永一郎に外地から引揚の事実もないことからすると、そもそも同人が日本人であるか否かも不明のことといわねばならない。しかも、養子縁組の点は原告自身もその存在を確信し得ない状況であることは原告の自陳するところである。してみれば、前記(5) に該当するともいえないのである。
(七) 以上、要するに原告が日本人であることを積極的に示す資料はなく、かえつて、次に述べるとおり、原告自身外国人(朝鮮人)であることを自陳自認していた事実があり、しかもそれは信頼性があるものである。
(1) 原告が外国人(朝鮮人)であると自認自陳した事実
原告は、
(イ) 福岡市長浜新町一〇組居住の韓国人柴田こと李末洙にし対同地に転入挨拶に来た際、「自分は近藤一男という朝鮮人である」と語つた事実、
(ロ) 韓国人姜大植に対して、「自分は朝鮮人の子で、慶尚北道永川郡の生れである」と語つた事実、
(ハ) 福岡市那の津二丁目所在の飯場の現場監督たる日本人真島武に対し、「自分は朝鮮人である」と語つた事実
がそれぞれ入国警官の調査の結果認められた。
(ニ) また原告は昭和二三年三月二日宮崎地方裁判所において詐欺罪で懲役一年に処せられたが、その判決謄本の本籍欄には「朝鮮以下不詳」と記載されている。
(ホ) 原告に対し、昭和三九年一〇月一二日在留特別許可書を交付されたが、当時何ら異議を主張することなく、同年一〇月一九日福岡市長に対し、国籍を朝鮮として外国人登録法に定める登録を行い、同証明書の交付を受けている。
(ヘ) 原告が昭和四一年九月二日福岡市長に対し永住許可申請をなしている。
これらは、原告が自ら朝鮮籍を自認したことを示すものである。
(2) 右自陳し自認した事実は極めて信頼性がある。すなわち、入国警備官に対して、次のような供述がある。
(イ) 韓国人姜大植は、原告が日本の風習習慣を知らず、また韓国永川郡の方言がうまく、これはいかに朝鮮語の達者な日本人でも不可能であり、原告が朝鮮人であることは間違いないと、供述。
(ロ) もと内妻樋口アツ子は、原告が典型的な朝鮮人の顔であり、日本語の発音が悪く食事も朝鮮人独特の食物を好んでいたので、朝鮮人であることは知つていた、と供述。
(ハ) 韓国人岡田健一の妻宮下節子は、原告が朝鮮語が上手であつて、朝鮮人特有の人相をしているので、朝鮮人に間違いない、と供述。
(3) 以上を綜合すれば、原告はその日常生活関係において朝鮮人との交友が極めて濃厚にあることが認められ、日常生活関係で原告に接していた彼らがいずれも原告を朝鮮人と確信していたことからも、右各供述は信頼性がある。
(八) 以上の事実を綜合すれば、原告は「日本国籍を有する者」とはいえないものである。
してみれば、原告を出入国管理令上の外国人(朝鮮人)と認定してなした本件退去強制処分は何ら違法はない。
4 仮りに、原告を外国人と認定することが誤りであつたとしても、その判定は極めて微妙であり、原告が日本人なること客観的に明白であつたということはできないから、そのことによつて本件処分が当然無効になるものではない。
第四、証拠<省略>
理由
一、原告が昭和二一年八月頃本邦に入国した事実および被告が原告を外国人であると認定してこれに対し、昭和四一年一二月二四日出入国管理令二四条に基き同令五一条による退去強制令書を発付したことは当事者間に争いがない。
二、出入国管理令第二四条にいう「外国人」とは同令第二条第二項にいうとおり「日本の国籍を有しない者」でなければならない。そして、日本の国籍を有する者であるか否かについては、国籍法の定めるところによるべきところ、原告が現行国籍法施行の日(昭和二五年七月一日)以前に出生していることは本件記録上明らかであるから、旧国籍法(明治三二年法律第六六号によつて日本国籍を取得していたとすれば、もちろん日本の国籍を有する者とされるから、原告の場合、現行国籍法のみならず旧国籍法による日本国籍取得の有無も問題とされなければならない。本件の場合、弁論の全趣旨にてらし、原告が日本に帰化したこと(旧法第五条五号、新法第三条)、日本人の入夫となつたこと(旧法第五条二号)は問題となる余地はなく、次の場合が問題となる。(この点は被告の主張するとおりである)。
(1) 原告出生当時、原告の父が日本人であつたことによる日本国籍の取得(旧法第一条、新法第二条第一号)。
(2) 原告の父が知れない場合、又は国籍を有しない場合において原告の母が日本人であることによる日本国籍の取得(旧法第三条、新法第二条第三号)。
(3) 日本人たる父又は母によつて認知されたことによる日本国籍の取得(旧法第五条第三号、第六号)。
(4) 父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき、日本で生れたことによる日本国籍の取得(旧法第四条、新法第二条第四号)。
(5) 原告が日本人の養子となつたことによる日本国籍の取得(旧法第五条第四号)。
原告が主張する日本国籍の取得原因は(1) の場合であり、予備的には(4) 、(5) の場合をも主張していると見得るので、この点を中心に検討する。
三、まず、<証拠省略>によれば、原告が昭和二三年三月二日宮崎地方裁判所で処罰された際、原告の本籍が「朝鮮以下不詳」と認定されていること、昭和三九年一〇月一二日原告は国籍を朝鮮としたうえ在留特別許可申請をし、同日以降翌四〇年四月一〇日まで許可されたこと、さらに昭和四一年八月三〇日原告が永住許可申請をした(しかも、この申請書には長崎刑務所の看守が原告の昭和三九年一〇月一九日福岡市役所発行にかかる外国人登録証明書を確認した記載がある)ことを認めることができるので、原告は朝鮮人たることを自認していたということができる。また、<証拠省略>を綜合すると、原告は自己の交際する朝鮮人や近隣の者に、自ら朝鮮人であると話し、慶尚北道永川郡の生れであるとか、大邱市にいたことがあるとか語り、流暢な朝鮮語で会話していたことが認められるので、原告の日頃の行動からも、断片的ながら朝鮮人であることを窺い得るということができる。
四、しかし、原告の生い立ち、中でも原告が本邦へ入国するまでのことについては、原告が昭和三七年鹿児島刑務所から同地の入国管理事務所へ退去強制容疑者の通報がなされて以来、入国管理事務所での調査に際して、入国警備官に対する供述<証拠省略>、口頭審理の際の供述<証拠省略>、法務大臣に対する申立書<証拠省略>、永住許可申請書に添付した「家族関係及び居住経歴に関する陳述書」<証拠省略>あるいは原告本人尋問の結果においてかなり具体的に述べている他には、これを認めるに足る資料はない。そして、原告の述べるところは、その都度細部について異つた部分も見受けられるが、大筋では比較的一貫している。すなわち、その要旨は、「原告は明治四五年二月二八日福岡県朝倉郡金川村大字下屋で父近藤武夫(あるいは武雄)の二男として出生、父母とともに満洲に渡り、長春(当時の新京)にいたが、原告二歳時父母が兄を連れ、原告とその姉を残して行方不明になり、人の話ではブラジルへ移民したということであつた。残された原告は家主の中村永一郎(あるいは栄一郎)の養子になつた。こういつたことは原告八歳の頃聞いた話である。原告は一二歳の時家を出て満洲各地を転々とした。一四歳のころ、前記金川村を尋ねて伯母に会つたことがある。新京の理容店に勤めていたとき、山口よし子と結婚し、昭和二一年八月胡盧島から引揚船で博多港に上陸した。早速前記金川村の伯母を尋ねたが、誰も知つた人はいなかつた。昭和二三年ごろ養父中村永一郎が仙台市出身なので、調べに行つたが、何も分らなかつた。帰途旅費に困り仙台市角田町の警察署へ行つて証明書類を預けた。昭和二五年ごろ山口よし子が長崎市で死亡した同女は長崎県南松浦郡福江町の出身であつた。原告は二〇歳のとき徴兵検査を受けていない。」というのである。
五、そこで、原告の供述について検討するに、原告がいつのころから自己の本籍を甘木市の前記場所と言い始めたかは本件記録では定かでないが、少くとも入国管理事務所の調査が始つた昭和三七年当時には、すでに本籍を前記金川村大字下屋(あるいは甘木市金川町下屋)として取り扱われていたことが窺われる。<証拠省略>を綜合すると、入国管理事務所としても先ず第一に、原告が同地に戸籍を置いているのか、近藤武夫が同地に実在していたのかを調査した結果、前記金川村(同村は昭和二九年合併により甘木市)中に下屋なる行政区劃もなければ通称名をもつ地域もないけれども、ただ旧金川村の中に大字屋永という地名があつて、俗に上屋永と下屋永に分けて呼ばれていることが判明したので、原告のいう「下屋」が「下屋永」と相通ずるところから、さらにこの地を方中心に調査を進めたものの、結局は原告あるいは近藤武夫の戸籍はなく、同地に詳しい人々に尋ねても該当する者のいたことさえ判明しなかつたこと(原告が犯罪を繰り返す度に本籍照会がなされ、同市の戸籍担当者がその都度調べたうえで照会書を返戻していたこと)、ただ、原告出生当時に甘木市大字千手一、一一七番地を本籍地とする「近藤武夫」なる戸籍のあつたことが判明したので、引き続きこの戸籍の移動先を追跡した結果、現在大牟田市馬場町一三九番地を本籍地としており近藤武夫なる人物は明治二八年四月四日生で大正一二年一〇月一日中村スミ子と結婚し、一男三女をもうけている旨戸籍簿に記載されていて、同人に面接して尋ねたところ全く戸籍簿の記載と同一で、同人は渡満したこともなげれば、原告についても全然心当りがないことが確められたこと、ただ同人の従弟に当る近藤節夫が甘木市大字馬田一、二八四番地に居住しているというので、さらに同人から事情を聞いたけれども、原告については何ら知らないということであつたことを認めることができる。
右事実からすれば、原告のいう近藤武夫が実在し、日本国籍を有し、また原告が同人の子として甘木市で生れたという点については、全く原告ひとりの言い分に過ぎず、これを裏付けるものが何もないばかりか、そのことごとくが否定されたというべきである。
従つて、「原告出生当時原告の父が日本人であつたこと」による前記(1) の原告の日本国籍取得は否定すべきこととなる。
六、次に、「原告の父が知れない場合」における「原告の母が日本人であること」による前記(2) の原告の日本国籍取得については原告の供述においても全く触れないところであつて、何らの資料もない以上、これまた否定すべきことになる。
七、さらに、「日本人たる父または母によつて認知されたこと」による前記(3) の原告の日本国籍取得については、前示のように原告の父母について日本人たることが全く不明である以上、認知の有無にかかわらず、否定すべきことになる。
八、以上の各場合が否定されたので、「原告が日本で生れたこと」による前記(4) の原告の日本国籍取得について見るに、原告のいう甘木市(当時の前記金川村)での出生が何らの根拠も見せなかつたこと前示のとおりであるから、結局これもまた否定すべきことになる。
九、そこで、「原告が日本人の養子となつたこと」による前記(4) の原告の日本国籍取得について検討する。
原告が中村永一郎(あるいは栄一郎)の養子になつたという点については、原告が事実上実子同様に養育されたというだけでは足りず、法律上も養子縁組まで成立しないことには国籍取得については論外である。原告の供述自体からも右事実は明確でない。のみならず、<証拠省略>を綜合すると、入国管理事務所において仙台市出身という中村永一郎を調査したところ、仙台市内にこれまた戸籍が見出せず、宮城県内に同名の者が引き揚げた記録もなく、引揚者給付金請求の記録もないこと、原告の別名と同じ「中村一男なる者の戸籍を見つけ出すことができたけれども、原告とは全く別人のものであることが分つたこと(別人は昭和三年一月二日生)、なお、原告が仙台市角田町の警察署へ立ち寄つた点についても、仙台市内にそのような町名はなく、宮城県下の角田警察署(現角田市所在)にも原告のいうような事跡がないことを認めることができる。
右事実からすれば、原告のいう中村一郎についても、その実在、日本国籍の点はもとより、原告を養子とした点についても、原告の供述は結局否定せざるを得ない。
一〇、原告本人尋問の結果中、原告が二〇歳のころ新京にいたけれども、徴兵検査を受けておらず、その旨の通知もなかつたこと、原告としても兵隊に行くのを好まなかつたから受けなかつたという部分がある。原告の二〇歳のころが満洲国建国にかけて徴兵検査の厳しかつた時代であつたことは公知の事実であるから原告個人の感情で徴兵忌避が黙認されたとは到底考えられず、その通知がなかつたことはかえつて原告が日本国籍を有していなかつたことを推認させるものがある。
一一、なお、原告と行動をともにしてきたという原告主張の山口よし子についても、<証拠省略>によつて原告のいう山口よし子が確認できないばかりか、かえつて昭和二五年長崎市で死亡した山口よし子が当時九歳の少女であつたことが認められるので、原告の供述はこの点からも信を措くことができない。
一二、結局本件において原告が日本の国籍を有しないと認めるべき資料が多数あるうえ、これに反するものは原告の供述を措いて他になく、その供述の根幹をなすものがすべて否定された以上原告が日本国籍を有しないものと断ぜざるを得ない。
一三、原告が在留特別許可の期限経過後なお本邦に残留し、かつ昭和三九年一二月一四日福岡簡易裁判所において窃盗罪により懲役二年に処せられ、この裁判が昭和四〇年一月九日確定したことは<証拠省略>に徴し明らかである。そうすると、原告が出入国管理令第二四条第四号ロ、リに該当するとして被告のなした本件処分には何らの瑕疵もないといわなければならない。
一四、退去強制処分の取消の訴について
(一) 原告はさらに出入国管理令に基づく退去強制処分の取消をも求めるのであるが、これは行政事件訴訟法第一四条第一項により処分があつたことを知つた日から三ケ月を経過したときはもはやこれを提起しえないのである。原告が本件処分のされた日である昭和四一年一二月二四日にはすでにそのことを知つたことは当事者間に争いなく、その日から三ケ月以上を経過した昭和四二年六月三〇日に、本訴が当裁判所に提起されたものであることは、訴状に押捺された受付印によつて明白である。従つて本訴は出訴期間を徒過した不適法な訴として却下を免れない。
(二) もつとも、これに対して原告は訴訟行為の追完を主張するので判断するに、調査嘱託の結果によれば、原告は、被告を被告訴人として被告が昭和四一年一一月一一日日本人である原告を退去強制令書をもつて大村収容所に収容して職権を濫用したという内容の告訴状を福岡地方検察庁宛に提出し、同検察庁がこれを昭和四二年三月一七日受理したことを認めることができる。右告訴状をもつて本件処分の取得を求める訴の提起と同視することはできないし、また訴提起に代えて告訴状の提出を教示したという原告主張の事実を窺う資料もない。
従つて、原告の訴訟行為の追完の主張は採用できない。
一五、以上のとおりであるので、本件退去強制処分の無効確認を求める原告の請求は理由がないから棄却すべきものであり、同処分の取得を求める原告の請求は、出訴期間を徒過したものとして却下を免れない。
よつて、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 木本楢雄 富田郁郎 横田勝年)